2015年8月31日月曜日

シャモニー個人山行(後編)

メンバー:上野(か)、ほか1名

8/10(月)
エギーユ・ルージュのハイキングほか
 天気が安定する明日からの二日間を後半戦のメインとし、本日は相方と別行動でハイキングへ。
 軽くマルチピッチでも行きたかったが、前半戦で相方は爪先を痛めてしまい、私もヒザが悪いのでこれもヨシとしよう。


 ラック・ブラン(白い湖)からランデックス、コルニュ峠経由でプランプラへ。
 ラック・ブランは日本人ハイカーにも人気で、モンブランを始めシャモニーの山々を一望にできる素晴らしい場所。
 途中、墓標らしきものがあったが、こんな場所なら人生最後の地にしてもいいなと思った。

 エギーユ・ルージュのメイン・トレイルを歩き通してシャモニへ下山。

 時間がまだ少しあるので、そのまま登山電車に乗ってモンタンベールへ。
 終点駅からメール・ド・グラスの氷床までは地球温暖化の影響で年々高低差が開くばかり。
 あと30年もしたら、ここシャモニーの山々も日本の北アルプス程度の環境になってしまうかもしれない。




8/11(火)晴れ
ツール・ロンド
 朝一のロープウェイでミディ、さらに乗り換えて一気にイタリア側のエルブロンネへ。
 このロープウェイは一度は乗るべき。ミディまででは景色は限定されるが、晴れた日にこのエルブロンネまで行けばモンブランの景色は満喫できる。


 ロープウェイを降り、まずは氷河をトラバースしてツール・ロンド(3,792m)の取付きへ。
 我々はノーマル・ルートの南東稜を行くが、かつて村山先輩らはもっと難しい北壁を登ったそうだ。改めて尊敬します!



で、ここツール・ロンドもこのところの陽気で例年に較べて雪は少なく、ほとんどが岩のピッチ。
 どちらかというと岩が得意な自分がリードを担当する。途中危なっかしいピッチもあるが、本場アルプスの岩を登っている幸せを実感する。

 しかし、ここでも時間がかかり、先行パーティーとはどんどん差が開いてしまう。
 クライミングの技術的にはそう差は無いと思うが、とにかく外国人パーティーは一々確保をせず、コンテでガンガン進んでしまう。
 相手をよほど信用しているのか、そうでなければもし相手が右に落ちたら自分は左に落ちればどこかの岩にロープが引っ掛かって助かる、そんな感覚である。


 
 上部で少し雪稜が出てきて、最後にまた岩登り。
 プランと同じパターンだが、こちらの方がコンパクトでやや簡単である。

 ようやく着いた頂上ではマリア像が迎えてくれた。
 ヨーロッパ・アルプスでは頂上にマリア像や十字架が建っていることが多い。背後のモンブランをバックに「アヴェ・マリア」を歌い、手を合わせる。



 下降はまた一苦労。
 先行パーティーに倣って往路のリッジからはずれて、イタリア側のけっこう下のガレをトラバース気味に行く。
 ある程度進んだところでリッジに戻り、今度はフランス側へ:懸垂下降。
 途中、ルートファインディングに迷ったり、ロープ回収で引っ掛かったりでどんどん時間は過ぎていく。
 最後はファイト一発、クレバスを飛び降りで越え、氷河に降り立つ。

 ついに膝が痛み出した私は、最後は相方にロープで引っ張られるようにしてトリノ小屋到着。
 遅い夕食後、死んだように眠る。


8/12(水)晴れ
バレ・ブランシュ横断~コスミック稜
 この日はシャモニーで一番美しい雪稜と呼ばれるロシュフォール山稜へ行く予定だったが、昨日の疲れ、膝の不調、そしてこの好天続きで肝心の雪稜がほとんど岩稜と化しているということで気持ちが折れてしまった。
 というわけで、おとなしくミディへ帰る。
 ただロープウェイで帰るのでは消化不良なので(私はそれでも良かったが)、バレ・ブランシュ(白い谷)を横断して行くことに。


  モンブランやタキュルの荒々しい東面、そしてグラン・カピュサンなど憧れの景色を間近に見れる素晴らしいコースだが、それよりも私は膝が痛くてキツかった。
 ミディへの最後の登りが近づいた時、突然相方が「今からコスミック稜へどうだろう?」と言い出す。
 これまでの行程で自分たちは標準タイムより時間が掛かり、何より膝が心配だったが、気持ちとしてはせっかくなので行ってみたい。
 相方は昨年ガイド山行で行っており、また昼からでも多くのパーティーが取り付いているので、少なくともルート・ファインディングは心配なさそうだ。


 

 ここもやはり雪が少なく、取付きからアイゼンを外していく。
 まず緩い岩の斜面を3ピッチ、その後、懸垂下降で3ピッチ。さらにガレっぽい岩場をトラバース、短い雪稜と続く。
 我々の前は熟年というか初老の夫婦を連れたガイド・パーティーで、スピードはかなりゆっくり。
 途中で何度か抜かそうと思ったが、結局後ろに付いていく。

 いよいよ核心のクラック。グレードは4bで高さはせいぜい5mほどだが、相方の話ではほぼ垂直で途中に支点は無く、一気に登らないといけないとのこと。
 正直、見るまでは不安で、各ガイド・パーティーの客もそれなりに苦労し、引っ張り上げてもらっていた。
 ホールドの位置と手順を確認して一気に越えたが、下から追い付いてきた地元の老ガイドが私を見て「トレビアン!と言ってたよ。」と後で相方に教えてもらった。



 さらに数ピッチの岩登り、最後はモンブランをバックにガストン・レビュファのポーズで記念写真を撮り、コスミック稜終了。
 終了点のミディ駅で大勢のギャラリーに迎えられるが、ここシャモニーではクライマーの姿など当たり前。特に北鎌のように拍手を受けることもない。
 登山ツアーでモンブランに登りに来た日本の方と話をするが、結局モンブランはグーテ側が閉鎖中(8/5だけ1日だけ開いたとか)、ミディ側も8/9の雨が山では20cmの積雪となりガイドが行くのを嫌がっているとのこと。
 結局モンブランは中止、代わりにイタリア側のグラン・パラディソ(4,061m)になって「まったく何しに来たか、わからないですよ。」と嘆いていた。



8/13(木)晴れ
ギャリオンの岩場
 マルチパスも使い果たしたので、バスで行ける近場のギャリオンへ再び。
 明後日は毎年恒例のシャモニー・ガイド祭がここで行われるということで、岩場は準備の真っ最中。
 それでも左半分は開放されていて、簡単なルートを3本ほど登る。
 隣を登っていた小学生低学年の女の子に話しかけるが、こちらの子は顔は綺麗でもニコリともしない。こちらが怪し気なおじさんだからかもしれないが、シャイというかクールというか。


 その後、ズーシュまででバスで行き、クライミング・ジムを見たかったが見つけられず。
 シャモニーへ戻り、駅裏の共同墓地まで散歩。
 有名なウィンパーやらエルゾーグ、レビュファなどの墓を訪ねる。OBの方たちはもちろん憧れの存在として知っているだろうが、今の山岳部の若手の人たちはあまりピンと来ないかもしれない。(時代を感じてしまいます。)



8/14(金)雨
 お土産の買い足し、最後は話のタネに日本料理屋「SATSUKI」で食事(高いよ!)をして、帰国の便へ。翌15日(土)夕方、成田着。




[MEMO]
 シャモニーでの二週間。本命のモンブランは逃したが、膝に爆弾を抱えたまま、ミックス3本、マルチ2本、ゲレンデでの岩登りやハイキングなど十分楽しめました。
 同時に歳によるスピードの衰え、自分ではアイスの技術と経験の必要性を感じました。
 モンブランはどうしてもという強い気持ちはないけど、登れないとやはり気になるもの。
 また機会があれば、マッターホルンとセットにして登りたいという気持ちになりました

シャモニー個人山行(前編)

日程:H27年8月1日(土)~14日(金)
メンバー:上野(か)、ほか1名


 山岳部のマッターホルン&モンブラン隊から一週間遅れの日程で行ってきました。
 私は海外の山は四度目ですが、ヨーロッパ・アルプスは初めて。相方はヨーロッパ・アルプスだけでも今回が八回目です。
 本来なら慣れた相方に全てお任せでも良かったのですが、準備は嫌いではないので飛行機、宿などは私が手配しました。
 一応、目標はモンブランですが、憧れの本場アルプスであり他にも魅力的なルートがたくさんあるので、特にこだわるつもりはありません。
 飛行機は悪評高い(?)アエロ・フロートの次に安いターキッシュ(トルコ航空)を使いました。往復13万円台、ご参考まで。


7/31(金)
 職場を午後半休し、夜の便で成田発。イスタンブール経由でジュネーブへ。


8/1(土)雨
 昼前にシャモニー着。
 スーパーでの買い物ほか、ほとんどクレジットカードが使えるが、ALPYバスと山岳保険だけはキャッシュ払い。
 現地通貨を一切持たず、さらにカードの海外キャッシング手続きを忘れた私は危うく路頭に迷うところでした。(汗)
 この日のうちにマルチパス、山岳保険、トポの購入など済ませ準備完了。


8/2(日)晴れ
エギーユ・ルージュのマルチピッチ・クライミング
 手始めにグリエール下部バットレスの「モダーン・タイム」というルートを登る。
 全6ピッチ、グレードはアルパインの4~5級-ぐらい。
 こちらの岩は硬くフリクションはバッチリ。
 快晴の空の下、モンブランやジョラス、ドリュなどを眺めながら快適なクライミングを楽しむ。
 終了点ではノルウェーの女性パーティーと国際親善を図る。この時、初めてモンブランのグーテ側が落石事故で閉鎖中と聞きました。


 

8/3(月)晴れ
プチ・ヴェルト敗退
 本日は高度順化と雪のコンディションを見るため、プチ・ヴェルト(3,512m)へ。
 朝から素晴らしい天気で、山岳部本隊は今頃モンブランに登っているんだろうなと想像する。
 今日の我々は行程も短く、アルパイン・ミックスのルートでは下から二番目に易しいPDというグレード。まぁ楽勝だと思っていたのだが。

 シャモニーからアルジェンチェール、そこからロープウェイを乗り継ぎ、グラン・モンテへ。既に標高は3,200m。
 目の前にはスキーのゲレンデをちょっと急にしたような斜面が広がり、ほんの一登りで片付きそうな気がする。


 ロープを結んでスタート。
 クレバスを越えながら直登、さらにトラバースしながら高度を上げていくと、なぜか先行パーティーが次々と引き返してくる。
 見ると、その上は大きなクレバス、さらに60~70度ほどの氷の壁となっていて、ガイド・パーティーの一組だけがWアックスで越えていったが、けっこうリスキー。
 まぁ本番前にそこまでしなくていいかと、我々も他パーティーに倣って途中でリタイア。
 明日の天気はイマイチなので午前中にまたエギーユ・ルージュのマルチとし、天気の良さそうな5日をモンブランのアタックとする。
 


8/4(火)曇り一時雨
エギーユ・ルージュのマルチピッチ・クライミング(その2)
 今日はブレバンの「ズモヌ」というルートを登る。全7ピッチ。グレードは4~5級+ぐらい。
 けっこう人気のルートで、山岳警備隊の訓練チームやパリの熟年夫婦、イギリスからの女子組などで賑わった。
 こちらも岩は硬く、ちょっと小難しいピッチもあってなかなか楽しめる。
 終了点に着いた途端、雨がポツポツ。ナイス・タイミングだった。


 町に降りて、登山博物館を見学。
 ホテル裏の「山の家」(ガイド協会)で聞いてみると、モンブランのグーテ側は相変わらず閉鎖中、ミディ側は天気が良過ぎて小雪崩が頻繁に起き、表面に氷が出てきてしまっているとのこと。
 ガイドレスで行けるか行けないかは自分たちの実力次第。
 また、当初朝一のロープウェイでミディ山頂に上がり、そこからモンブランを目指す予定だったが、調べてみると登りだけで6~9時間、帰りも含めるととても日帰りできないことがわかった。
 今さらながら自分たちの甘さに気付き、明日はミディからエギーユ・ド・プランへの縦走に変更する。
 こちらのルートについてもガイドにはっきりと「Bad condition.」と言われたが、はたして・・・。

 

 
8/5(水)晴れ
ミディ-プランの縦走
 朝一のロープウェイでミディ山頂駅へ。
 最初のミディからの下りも初めてだと、ちょっと怖い気がした。
 長谷川さんも廣井さんももう何度も歩いているはず。やるなぁと感心した。
 少し下ったところで右手へ伸びるモンブランへのトレースと分かれ、左側のプラン方面へ。
 
 緩やかなスロープから、さらに急な下り。アイゼンも刺さらないほど堅いブラック・アイスが出てきて、恐る恐るバックステップで下る。
 そんな我々の気も知らずに現地ガイドは前向きのままガツガツ下る。さすが。ていうか、自分のヘボさ加減が嫌になる。
 下り切った所から今度はリッジの左裾をトラバース気味に上がっていく。例年あるはずの雪が消えて不安定な岩の迷路となっており、明らかに悪い。
 さらに、氷の斜面をアイス・スクリューでランナーを取りながら突破。2パーティーはここで引き返して行った。


 

 やがて懸垂ポイントに出る。日帰りとして考えるなら、ここがターニング・ポイントとなる。
 だが、相方は「行こう!」と強気の姿勢。
 一昨日のプチ・ヴェルトがまさかの敗退、さらにこの後モンブランも行けるかどうか微妙な情況を考えると、確かにここで少し頑張らないと成果無しで終わってしまうかもしれない。
 覚悟を決め懸垂下降で下りるが、壁は絶望的に立っており、これで退路は断たれた気がした。

 そこから登り返して岩の水平リッジをしばらく進み、さらに再び懸垂3ピッチでイタリア側の氷河上に降り立つ。
 そのまま雪稜を進み、ようやくプラン頂上の肩に出る。
 ここからさらに岩のピッチが3ピッチほど。まだあるのか。もう帰りのことは考えず、とにかく目の前の岩だけに集中しガムシャラに登る。




 
 プランの頂上は遠くから見ると尖っているが、立ってみるとテーブル状の岩場だった。
 背後のモンブランが大きい。
 既に14時を回っている。そそくさと記念写真を撮った後、懸垂下降で降りる。


 今から往路を戻ってもロープウェイの最終便には絶対に間に合わないため、下山はメール・ド・グラス経由モンタンベールとする。



 
 急な斜面をイタリア側へ下降。大きなクレバスを迂回しながら進むが、下に行くにつれ氷河はズタズタになってくる。
 迷路のようなクレバス帯を進むが、ついに手詰まり。これ以上はあまりにも危険なので、しかたなく引き返す。
 稜線直下まで登り返し、岩棚でビバーク。
 正面には夕焼けに色づくジョラスが幻想的で、何だか夢でも見ているようだったが、夜になって冷え込んでくると現実に引き戻され、二人背中合わせにくっついて寝る。


8/6(木)晴れ

プラン-ミディへの復路
 ツェルト、ストーブも持たない着の身着のままのビバークだったが、何とか無事に朝を迎える。
 今日はミディへ帰るだけだ。
 このルートは往きに懸垂で降りた箇所を登り返さないといけないため、復路の方がグレードが上がる。
 まずは4b(4級+)のコーナー・クラックを3ピッチほど。
 日本のように残置ハーケンはないのでランナーは全てカムで取るが、こちらのクラックはしっかりしていて面白いようにガッチリ決まる。


 

 さらに岩、ガレ、雪、氷・・・といろいろな斜面を、昨日を思い出しながら進んでいくが、やはり何度かルートを見失う。
 それでも昨日最初に懸垂して退路を断たれたと思った壁は巻いていくことが可能とわかり、ここでようやく安全圏に入ったことを確信する。

 ヘロヘロになりながらミディ到着。
 結局、現地のガイド付きパーティーなら片道約4時間のコースを、我々は片道7時間の二日間行程にしてしまった。参りました。


8/7(金)晴れ
休養
 さすがに昨日の疲れもあって、本日は完全休養。
 ボリュームたっぷりのハンバーガーとビールのブランチを済ませてから洗濯など。


8/8(土)晴れ

ギャリオンの岩場
 本日は午後から雨の予報だったので、近場の岩場へ。
 日本では「ガイヤン」と表記されることが多いが「ギャリオン」の方が正しく、その方が現地の人にも通じる。
 明るく開けた岩場で、老若男女の人々で賑わっている。ただ南向きのため、昼には猛烈に暑くなる。朝夕がおすすめ。
 ハングした厳しいルートは無く、ほとんど4~5cの手軽なグレード。私は5c(5級+)を3本、6a(5.10a)を1本登る。
 膝の痛みと痺れは時々出るが、なぜかクライミングの時は平気だ。不思議である。
 
 午後は後半戦の準備と手配。
 好天続きだがモンブランはいろいろな点で状況が悪く、今回は諦め、後半はツール・ロンドとロシュフォールを目標とする。



8/9(日)雨
休養
 一週間ぶりの雨。日本のような不快感は無いが、連日の暑さでクラクラするのでまさに恵みの雨といった感じ。
 午前中、登山用品店を物色。本場モンブランとドリュという名のケーキを食べる。
 夜は中華レストランで久々のラーメン。だが旨くない。こちらはスーパーでもカップ麺は見当たらず、そろそろ日本食が恋しくなってきた。


(後編に続く)


上野(か)・記 

モンブラン&マッターホルン山行記録(後編)

■8日目(8月1日)@シャモニー
 
 シャモニー帰着後すぐに向かった観光案内所で、天気予報を確認、担当者のベルナデットさんとも相談の上、翌8月2日~3日をモンブラン再アタック日に決めていたため、今日はその準備兼休養日である。シャモニーは雨、モンブラン含め、山の上は雪とカミナリのコラボで大荒れの模様。
 お昼を食べたり、お土産を買ったりしながらブラブラ過ごす。
 マッターホルンで痛めた坂本リーダーの脚はよくならず、坂本リーダーはモンブラン棄権を決める。坂本リーダーの不在は大打撃だが、もうとにかく頑張るしかない。
 
 
 14時にベルナデットさんとの約束があったため、観光案内所へ向かいコスミック小屋宿泊に関する最終確認を行う。ついでに山岳協会で保険の手続きも済ませた。
 夕食の食材を買って夕方キャンプ場に帰宅。

パンとケーキのお店♪
ケーキのシロップには蜂が群がっていました。
おおらかでいいなあ




なんと、ホウレンソウのバラ売り!!
農業専門家・河合さん感激のひとコマ


















■9日目(8月2日)
  いざ、モンブランへ。今回のアタックが、当遠征のラストチャンスである。
 ベルナデットさんに出発のあいさつをし、ついでに山の登山状況も教えていただいた。
 前日に積もった新雪の状況などから雪崩の危険を鑑み、コスミック小屋では宿泊客に今日は登らないよう、指導しているとのこと。1パーティだけ、モンブランへアタックしているものの、彼らがどこまで登ったのか、状況は不明。いずれにせよ、トレースは薄そうである。
 また、崩落のためベルビューから下る登山電車が運休してしまい、復旧には1カ月かかるとのこと。下山は線路か脇のハイキングコースを歩くことになり、下山に必要な所要時間が予定より大幅に増えてしまった。
 なんだかついていないが、タキュル、モディの斜面の雪が今日一日の晴天で落ち着くことを祈りつつ、出発。

今回は動いた!ゴンドラで再びミディへ

コスミック小屋から望む氷河
去年より短くなっている気がするのは私だけだろうか。
 

フランスの山小屋といえば、これ。
ドンブリ紅茶(or コーヒー)


明日に向けて作戦会議
タイムリミットは、モディ山頂10:00
フライトの都合上、なんとか3日中に下山したい



















■10日目(8月3日)
 0:00時、起床。ドンブリコーヒーとパン、チーズの朝食を済ませ、1:00に小屋を出る。
 外は真っ暗。雪は締っており、ベストコンディションである。雪が安定しているうちに、日の登る前にタキュルの斜面を登り切りたいところだ。途中、大きなクレバスに架けられた梯子の上部が、雪解けと大勢の登山者に踏まれたため大きく削られてしまい、梯子がロープで宙ぶらりんの状態になっていた。梯子最上段からクレバスの上の斜面に上がる一歩はかなり大きくなっていた。当然よく揺れるのだが、それ以上にとにかく見た目が恐い。河合さんの確保で全員無事に渡りきる。
 5:00タキュルの斜面を登り切り、尾根上に出る。モディへのコルへ下りる途中で日が昇りはじめ、急速に明るくなっていく。モディが朝焼けで赤く照らし出され、きれいだ。
 先行パーティはガイドを含め、続々と引き返してくる。モディの斜面は見るからに危険な雰囲気を醸し出している…雪がべったり付いている上に、トレースもなさそうである。1パーティ、モディに登り始めているが、彼らがラッセルをしているのだろうか。とにかく、行ける所までいくことに。
 万が一雪崩に遭った時の危険を考え、間隔をあけて歩くように、という河合さんの指示。均等の間隔を維持しながら歩くのはとても難しかった。また、雪がやや氷のようになっている斜面があったり、大きな雪庇が上にあったりと、ところどころ緊張する場所があった。
 あと30分ほど登ってクレバスを越えればモディの尾根に出る、というところまで来た時、なんと、とんでもない光景が。先行パーティらしき2人組みが引き返してきている(※後に先行パーティではなかったことが判明)。この先、トレースがないとなると、時間的にかなり厳しくなる。また、モディを越えればモンブラン山頂までは平坦なコルと緩やかな斜面が続くとはいえ、先日の嵐で状況はどうなっているかわからない。登頂はできても、フライトの時間までに安全に下山できるだろうか…。尾根まで上がってモディの向こう側の状況を確認してから判断するか、その場で引き返すことを決めるか、意見は分かれたものの、下山を決定。午後になって気温が上がれば雪崩の危険が大きくなるので、早めにミディのコルまで下りることに。
 
 やっぱり、モンブランは大きい、難しいなあ。気持ちの上では這ってでも登頂したかったけれど、気持ちだけでは登れないので仕方がない。修行を積んで、技術を身につけて、登れるまで何度でも挑戦しようと思う。
 また次回、次に来る時こそは登りたい!


モディの朝焼けとお月さま

大クレバスを空中懸垂(梯子はもはや足が届かない状態に)
どこまでも青い空、遠くにミディ



























 
 
 

■11日目(8月4日)
 
 12:00、予約しておいたアルピーバスが時間通りにキャンプ場まで迎えに来てくれた。
 ところで、ジュネーブ空港って手荷物検査通過後に某有名ナイフの免税店があるけど、いいのかな…。
 
■12日目(8月5日)
 無事、成田に帰国。
 
 
 
≪memo≫
 私の場合、やはり実力不足でした。ザイルワークをはじめ、基本的な技術の底上げが不可欠だと痛感。ヨーロッパアルプスはスピード勝負なところもあり、チームの全員が誰がトップに出ても問題ないだけの力を付けていないと厳しいと感じました。今回の反省を次の登山につなげられるよう、日々の練習と一回一回の山行を大切にしていきたいと思います。
 
(文責:廣井)
 

2015年8月18日火曜日

2015.7.23~26白馬岳 清水尾根~祖母谷~唐松岳 餓鬼山尾根(個人山行)

 
 
日程:2015.7.23~26


メンバー:N


 ほかの山岳部員がヨーロッパアルプス遠征をする中、資金不足のため参加できなかった私。彼らが遠征中になにか面白いことをやってやろうと思い、以前から行ってみたかった、祖母谷を起点とした2つの尾根、白馬岳の清水尾根と、唐松岳の餓鬼山の尾根をつないでやってみることにした。どちらも非常に長くコースタイムがかかり、人があまり入らない道だそうだ。時間がかかる理由は黒部側の起点である祖母谷が標高780mと、登山口としてはかなり標高が低いためだ。黒部川がいかに深い谷をつくったのかうかがい知れる。
 行先に決定してから白馬村のホームページを見てみると、清水尾根、餓鬼山尾根ともにルート整備が完了していないとのことだったので、前日に祖母谷小屋のご主人に電話で問い合わせたところ「いけるいける!」とのことだったので催行決定したのだった。
 22日21:30に自宅発。24時過ぎに高速に乗ろうかとも考えたのだが、初日の行動時間が長いので早く着くことを優先した。安曇野の降り口にあるコンビニに寄っただけで休憩せず、翌1:10猿倉着。雨はすでに降っており、いやーな気分になりつつビールを一缶開けて仮眠。

7/23 天気終日雨
 3時に目覚ましをかけていたので一度起きたが、強い雨のため二度寝。再度起きたのが5時。さすがにあわてて出発準備をする。なんといったって、今日はコースタイムが14時間もあるのだから。登山届をだし、5:55猿倉発。雨は強い。6:40白馬尻。この少し先からアイゼンを装着し、白馬大雪渓を登る。濃い霧だが赤いマーキングがされておりコースを見失うことはない。ぐんぐん高度を稼ぎ、9:50頂上宿舎。ここまで約1500mの登りだったが、ほぼ4時間で登ってきた。よいペースだ。しかし、ここからまだ7時間のくだりが待っており先は長い。標高差にして1900mあるのだ。10時出発してもコースタイム通りで17時着か。急がねば。と、このときはまだ清水尾根のコースタイムを巻けると考えていたのだった。

 10:10頂上宿舎発。稜線は風が強い。旭岳方面へ分岐をわけ、稜線歩きである。さっそく雪渓の歩きがありまっすぐ進んでいくとルートを見失った。コースを戻りあたりを見回すとうすーく赤いしるしがついている。ルートに復帰し、稜線を歩く。霧のため思いのほか稜線の地形をつかみにくい。2万5千図を持っていてよかった。この後も2度ほどルートファインディングをした。一度などは結構危険な雪渓のトラバースをしたのに、全くコースではなく、完全に無駄な体力を使ったりした。そのようなことをしていたので結構体感的には歩いたと感じ、清水岳はもう過ぎたのだろうかと高度計で確認したが、高度がまだ清水岳よりも高い。精度が低いなーとか思っていると、12:25に清水岳についた。ヌ?!1時間40分のところを2時間15分かかってしまった。高度計は正確だったようだ。この時点でかなり雲行きがあやしくなってきていたが気を取り直し、まずは避難小屋まで急いでくだることとする。清水岳周辺は高山植物の花畑、池塘が点在し美しかった。雨でなければ。13:55不帰岳避難小屋着。きれいな小屋でシェラフまであった。ここで大休止をし、これからの激しいくだりに備えてずぶぬれになった靴下を替える。14:10発。ここまでですでに足を使い切ってしまっているため、歩き始めて30分経たないうちにすぐに休憩。こんなに疲れているのだったら避難小屋まで戻ったほうがよいのではないか?いや、今回の目的の一つには祖母谷で温泉に入るってのもあるし。また、今日抜けないと猿倉まで戻れないのではないか?なにより今すぐにでも温泉に入りたい!という気持ちがこのときは勝り行動を続行する。しかし、ペースは相変わらず上がらない。雨で木の根、石が油断するとすぐにスリップしてしまう足場となっているし、足の筋力がもう残っていないので少しでもバランスを崩すとよろめいてしまう。なによりも避難小屋より下部がトラバースの連続となっており、結構な斜度の斜面にへばりつかなければならない様な箇所が多数あった。そのような場所の中でも足場ごと崩れてしまう箇所が数カ所あり、時間ばかりがかかってしまった。特に百貫の大下りとされる箇所はロープの連続であった。かなり手に頼った歩き方しかできなくなっていたためか、斜度がきついところで一度スリップをし、「あぁ怪我したなぁ」と思う場面があった。落ちてるときはなんだかスローモーションに感じるものだ。が、ロープ末端に作られていたコブにうまくひっかかって止まった。軍手をしていたため、手の皮がむけずに済んだ。このあたりが標高1500m位で時間は17時を回ってしまった。まだ700m降らなければならない。ずっとトラバース気味で中々素直に高度を下げさせてくれない。もうビバークしようかなとか考えながら、ほとんど無意識のまま歩いて、倒木を越えて降り、2回転倒しつつ、これまでの人生でこんない辛いことがあっただろうかと本気で感じながら行くと、気が付けば最後のジグザグの降りに入っていた。終わりが見えたので最後の力を振り絞り、19時前に何とか林道との合流点に出ることができた。あたりはヘッドランプを出すか出さないかぎりぎりの明るさになっていた。なんか知らんが泣きそうになった。というか泣いた。そして19:20に祖母谷着。なんと頂上宿舎から9時間もかかってしまった。
 小屋で受付をしようと入るとご主人が落ち着いてからでよいと。さらに「ビール要るか?」と。こんな時間に雨の中着いたからおごりだと。ありがたい心遣いに感謝し、頂戴した。テントを張り、つまみとビールを持って急いで温泉へ。念願の温泉は湯加減が長湯するにはちょうどよく、1時間近く入っていたと思う。ビールはあっという間に無くなったけど。シャンプー、ボディーソープが常備されており、一日中歩いた汗を洗い流した。その後夕飯を作る気力もほぼないので、缶詰とマルタイラーメンの手抜き夕食を食べ、22時就寝。とても一日の出来事とは思えない、長ーい一日だった。


清水岳付近で咲き乱れるコバイケイソウ


ほんとっすね。でもきついよ!

不帰岳避難小屋。快適そうな小屋だった
やっとで着いた祖母谷



7/24 雨のち曇り
 6時起床。足が痛くてイマイチ寝られなかった。本当は今日唐松頂上まで行く予定だったが、前日がハード過ぎたので中間の避難小屋で一泊することとする。行動時間5時間ほどなので遅立ちすることとして、朝風呂という贅沢をする。小屋のご主人にルートについて聞くと、ほんとは晴れれば昨日今日で草刈りをする予定であったが、まだそれが済んでおらず不明瞭なところが多いけど、降ってくる連中もいるし、大丈夫だと。ここで注意しなければならないのは、ご主人が言う、「降ってくる連中」てのは多くても週に数人程度だろうということである。昨日の清水尾根でも歩いてるのは私だけだった。祖母谷起点の2つのルートは両方とも登山者一杯の北アルプスの一般ルートとは一線を画すものだと昨日つくづく痛感させられた。そういった意味ではご主人の大丈夫の言葉には結構不安が残るのではあるが。
 10:00発。雨は止み、晴れ間も見えてきた。しばらくは南越沢沿いに高度を上げていく。序盤は苔むした石の歩きで歩きづらかった。沢沿いは高巻がほとんどで幅50㎝くらいの道が切られているところもあるが大体は草が鬱蒼と茂っているところを沢沿いに検討をつけて歩いていく。空気が濃いというか、蒸し暑かった。一か所デブリで完全に崩落している箇所があったが迷うことはなく尾根取りつきに11:50に着く。ここからは水場がなく(本当は峠付近にあった)3リッター水を担いで登って行かなくてはならない。急登を登りきり南越峠に13:20。トゲトゲした葉っぱが掌に刺さったり、腕を引っかいたりして痛かった。休憩するとすぐに蚊が寄ってくるので休憩の度に蚊取り線香をつけていた。峠の先もしばらく急登で14:25餓鬼の田圃。草の生い茂る池塘が規模は小さいもののあった。そこからはゆるゆると登り15:50に餓鬼山避難小屋着。案外時間がかかった。早立ちしても下部で迷ったかもしれないし、半分で切るのが正しいのかもしれない。とりあえず濡れたものを全てザックからだし乾かした。近くに池があるせいか、蚊が黒い塊となって見えるほどおり、避難小屋の入口に蚊取り線香を置き、小屋の中で食事を作った。この日は玉ねぎとウインナーを入れたトマトスープと海藻サラダを食した。小屋には連絡帳が置いてあり2014年からの使用となっていたが、2年目にも関わらずまだ3ページ目だったのでコメントしておいた。小屋の裏手からは五龍が池谷尾根を従えてそそり立って見え、剱・立山方面も見ることができた。21:30頃就寝。またも足が痛くよく眠れなかった。


朝風呂、最高っす

下部の道

餓鬼の田圃

少しでも軽くするため乾かす。蚊がアカン・・・

小屋裏手から五龍
夕飯。ビールがあれば




7/25 曇りのち晴れ
 3:20起床、念入りにストレッチをし4:25発。急な登りで梯子が連続しており、ところどころ切れ落ちている箇所があるが森林限界ではないため高度感はない。5:15餓鬼山。今日行く唐松岳はまだはるか先だ。ここから一気に降る。これまでのコースタイムを挽回するため急いで降る。一時的に稜線の歩きとなり、展望がよい道が続く。この尾根からはやはり五龍が主役だ。下部からは鋭角に見えていたが高度を上げ、池谷尾根と平行に歩くようになるにつれどっしりとした山容を見せるようになる。6:20大黒銅山跡。蚊がすごいので休憩せず先を急ぐ。やっとで唐松の主尾根に取りついた感のある急登となり高度を稼いでいく。8:30に2300m地点。この上部から稜線をトラバース気味に登る道となり岩稜の歩きとなった。小屋が見えたが中々近づかない。途中水場があり、小屋で買うのもしゃくなので1L補給した。9:25唐松山荘。まあまあのペースで登ってきた。一昨日の白馬頂上宿舎を出てから一人の登山者とも出会わなかったが、後立の主稜線に出た途端にものすごい登山者の数である。そりゃそうだよね。展望もよいし、黒部と違って長野側からはアプローチも短いし。私も基本的には楽なほうが好きだ。だが落差に驚いた。大休止し9:50発。この後まだ天狗まで5時間で鑓温泉までだと8時間だ。急がねば。しかし唐松頂上への歩き出しで左膝に違和感が。曲げるたびに痛みを感じる。歩いているうちに痛みになれるだろうと判断し唐松山頂を出発した。高度感のある岩稜の登山道ではコースタイムを巻けると踏んでいたが、痛みは全く引かないし、慣れることもなくどんどんと増すばかりだ。10:30不帰2峰。遅い。なんということだ。唐松山荘に戻って八方尾根を降ったほうがよいのではないかともおもったが、やはり歩いてスタート地点に戻りたい気持ちが強い。また、鑓温泉も楽しみだし。何度も左膝を伸ばしたり叩いたりしたが、痛みは変わらなかった。意を決して歩き出すが2峰の降りだしの鎖場で本当に左足に荷重することができなくなってしまった。そのため、左足以外の3点で、ものすごく手に頼った下手くそな降り方でなんとか降りた。最後の核心である不帰の瞼も同じような方法で降りた。なんでもない道が本当に辛かった。少しでも大きな段差があると後ろ向きだったり、お尻をついたりしてなるべく左足に体重をかけることのないように注意しながら歩き、12:40キレット。本日中の鑓温泉はさすがにもう無理だ。ここから天狗の頭まで約400mの登りである。全く登高意欲が湧かないがとぼとぼと歩き出す。登りでも左足は右足より前に踏み出せない状態となっている。ゆるゆるとカタツムリのように動いた。14:20、やっとで天狗の大下り開始地点に到着。もう急登はなく平らな道であることを喜んだが、全くペースは上がらず15:40天狗山荘着。テン場は既に一杯で小屋前の微妙なところに張らざるを得なかった。しかしテン場代は千円。高い…ビールを購入し夕飯を作る。とにかく筋肉の回復を期待し持ってきていた肉系のものを全部食べた。足が痛いし、人が多いので(こういう場で単独行していると人見知りの面が発揮される)外を出歩く気にもならないのでテント内でひたすらストレッチした。19:45就寝。







ここで中間て、どんだけ長い尾根だよ…

餓鬼山頂付近。切れ落ちてるなー

尾根の最後。意外とトラバースが長い
唐松
よくあるカット

適当に撮ってもらったやつ



天狗の頭を見上げる。これから登るのかよ…

いやー、よう登ったわ





7/26 快晴
 2:50起床。星空がきれいだったのでぼーっとテントから顔をだし、眺めた。4:35発。すでにかなり明るく、山々がオレンジ色に染まっていく。いつみても美しい眺めだ。今回稜線で朝を迎えたのは1日だけだった。景色は美しいが膝の痛みは全く回復しておらず、歩き出しからのろい。5:00鑓温泉への分岐、5:30大出原。痛みはだんだんとひどくなっており、膝を曲げることはほとんどできない。途中、大学生や年配のパーティーに次々と追い抜かれ、悔しい思いをした。7:30鑓温泉着。小屋番のおじさんに歩き方を指摘され、こうなってしまった経緯を話すと、馬鹿だねーと褒められた。温泉に入るなら長湯はするなとアドバイスもされた。そして、温泉を独り占めした。日の光が水面に反射しきれいで、気分も爽快だ。8:10発。ここからピッケルを杖代わりに使う。雪渓を抜けトラバースに入るとさらにペースは鈍化した。全く息は上がっていないが思うように歩けないもどかしさを初めて感じた。10:35小日向のコル。一昨年同じ道を通っているが時間は2倍以上かかっている。非常に暑く、水をよく飲んだ。ここからもとぼとぼと降りていき、12:45に猿倉に戻ることができた。帰りは八方の湯に入り帰宅20:20。


朝日である

剱・立山

気持ちがいいなぁ

雛ライチョウ

お母さんライチョウ

かしきりだー



 その後、2週間経過しているがまだ膝は治らず。時間のかかった清水尾根については、白馬村HPの登山情報が8/5に更新されており、今年は崩落激しくザイルが必要で10~12時間時間がかかるとのことだった。道理で明らかに無理のある箇所があったわけだ。
体力の限界を超えた感のあるハードな山行で怪我もしたが、記憶に残る濃い時間を過ごすことができたのだった。